お医者さんごっこ

わたしのこと

最初は「欲しいものがどこにも売ってない。でも欲しい!」「それなら自分でつくるしかない!」というあふれる欲望と若さゆえのいきおいから、ものづくりをはじめました。

母も祖母も文化服装学院の卒業生で、お裁縫の先生や服飾を生業としていたので、小さなころから布や針と糸、ハサミなどに触れ、ミシンのカタカタいう音を聞いて過ごしました。

帰宅後、母は仕事でつかう布をわたしが台なしにしたことに驚きひどくショックを受けたのはもちろん、プリーツの向きが左右逆だといって、わたしはすっかり叱られてしまいました。彼女はそれだけプロ意識がつよく、誇りをもって仕事に励む人なのでした。

そんなこんなでわたしには、欲求を満たすという意味でも自己表現といった意味でも、ものをつくるという手段があり、それまで見てきた世界においてそれは当たり前のことで、今思えばとてもめぐまれた環境だったと思います。

自分の欲を満たすためにはじめた自分のためのものづくりは、1993年、娘の出産を機に外へ向かいはじめます。

彼女がまだお腹にいたころ、肌着やおしめ、お宮参りのドレス、ロンパース、スタイからルームシューズまで、迎えるための衣類はすべて手づくりしました。母親としての想いをいろいろ込めながら。

なかでも、ジャージ素材の肌着を縫った余り布でつくったくまのぬいぐるみが、当時代官山にあったテディベア専門店、カドリー・ブラウンの店長に見初められ、本格的に制作・販売することを勧められました。こんなふうにして、わたしの作家人生ははじまりました。

プロとしてつくっていくうちに、連れ帰ってくださる方にかわいがってもらえるよう、いっしょにお仕事をした方に満足していただけるよう、そして自分の納得がいくよう試行錯誤をかさねるとともに、品質にもこだわりをもつようになりました。

ひとつひとつの出会いのどれが欠けても、わたしは今ここにはいません。関わってきたすべての人たちに、心から感謝しています。

そして今も昔も、ひとつひとつに生命を感じられるような、そんなものづくりを心がけています。

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