ふくらむ
つぶやき

Ça faisait longtemps ・・・ おひさしぶりです。

おひさしぶりです、ChibiRu です。新年のごあいさつもままならないまま、気がつけばもう3月もなかば!

みなさま、2017年もどうぞ、よろしくお願いいたしします。

実は、ごあいさつのための記事は下書き保存してたのだけど、公開できなかったのです。日本の日付が2017年に変わったとき、おめでとうをいおうと実家に電話をしたら、「今年は年賀状もないからね〜 喪中だから」ということをいわれ、ハッとしました。そうでした、喪中なんていう習慣をすっかり忘れていました・・・。

100歳を迎えたからと、昨年の夏、アントワヌくんと下関までお祝いに行ったおばあちゃんが、その2ヵ月後に亡くなったのです。山口は遠いのでもう何年も会っていなくて、アントワヌくんにも会わせたことがなくて。思い切って飛んでった矢先でした。でも、大往生だしね。昨年の春にはうちの家族全員会いに行っているし、わたしも最後に顔を見られて、声を聞けて、手を握れてよかったです。

そのおばあちゃんのことを話すと、わたしが小学生か中学生の頃、おばあちゃんが上京してわたしたちの子ども部屋に泊まったとき、毎晩ふとんの中で分厚い「赤毛のアン」を夢中で読んでいたことを思い出します。5年くらい前に訪ねたときは、自分の部屋で「花より男子」のDVDを繰り返し見てたっけ!いつまでもかわいらしい、ちっちゃなおばあちゃんでした。

おじいちゃんたちは、父方も母方もだいぶ前に亡くなったのですが、おばあちゃんたちは元気でした。いつまでも元気な気がしていました。でも、おととし母方のおばあちゃんが他界し、昨年父方のおばあちゃんが旅立ち・・・とうとう、祖父母だれもいなくなってしまいました。

世代交代というか、ひとつの時代が終わったなという気がして、とてつもなく淋しい。おじいちゃんおばあちゃんがいなくなるというのは、子ども時代の自分たちもいなくなってしまった感じがするのです。

夏休みに何日もおじいちゃんおばあちゃんのうちに泊まって家族とお祭りや海や山や温泉に出かけたり、いとこたちと探検したりいたずらしたり、そういう愛おしい時間は永遠に戻らないのだな、と実感するのです。

とあることに出会い、ここ数年、毎日を「今日が最後かもしれない。明日わたしは目が覚めないかもしれない。」と覚悟して過ごすようになりました。1日1日を後悔しないで生きようという、いい意味での緊張感があります。毎日、その日がわたしの最後でも悔いのないように。家族の何気ない一挙手一投足、戯れ言や小言さえもじっくりと噛みしめるようになりました。

わたしがいま、ここにあることに、心から感謝します。今朝も目が覚めたことに、家族やともだちが今日もみんな元気なことに、心から感謝します。ありがとう。